
豊岡小学校の開校は1949年。多くの小学校が終戦直後に開校する中、数年遅れであったことは「豊岡」の名前にも起因する。

豊岡地区は樺太から引き揚げてきた人々が開拓した地域で、樺太の都市「豊原」と「真岡」から一文字ずつ取って名付けられたという。

戦後の開拓は幾多の困難を乗り越えた歴史。校内にも開拓を感じさせるものが幾つか見受けられた。

閉校は1986年。閉校後はキジ繁殖センターとして活用されていた時期もあるという。

教員室。


学校教育目標が半分だけ残る。

廊下。学校感はだいぶ薄れている。

心許ない床。お相撲さんが通ったらぶち抜くかも。右手の教室内は…
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廃飼育小屋。ちょっと怖い。学び舎から飼育小屋への転身はなかなかシュールな光景だった。

左手に絵画。

ガリバー旅行記だろうか。

お相撲さんが踏み抜いた跡、これ以上は危険だ。
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この先、右折すると…

講堂だ。

頭上の絵画、開拓を感じさせる。マゼラン一行がフィリピンに到着し、ここからキリスト教の布教が始まる…そんなイメージだがどうだろうか。


窓の美しいこと。

絵画が印象的な廃校だった。

周囲を巡る。

開拓記念式典のプレート。開拓の歴史はこの地域では強い意味合いを持つ。経験の有無の差は大きい。

校舎は少しずつ崩壊を辿る。ここも歴史とともに消えてゆくのだろうか。

記念碑だ。木造校舎と違い、この立派な石碑はきっと長く残り続ける。開拓民の不屈の精神は引き継がれてゆくのだ。

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