初期症状から中期症状の結核患者を主要とした感染症患者の隔離病棟であった。1958年に開業、1982年に閉鎖。
国道わきの小道を降りてゆく。
竹林の中にそっと現れた。本当にあった。
正面玄関。
頭上のまるい蛍光灯が真珠のように、存在感を醸している。
当時の隔離型の病舎は、入り口で靴を脱ぐ決まりだった。服の着替えも義務付けられていた。
崩壊はかなり進んでいる。
スイッチは固まっていた。
閉鎖後にもたくさんの人々が訪れたのだろう。
斜面を登ると、もう一棟病舎がある。
本来は階段廊下で繋がっていた。完全に倒壊しており別ルートでゆく。
こちらの病舎は入院ベッドが多数だ。
藁のベッド。
アルプスの少女ハイジで憧れをもった人も多いだろう。でも、目の前にあるものは、ちょっと違う。
日本の隔離病棟では藁のベッドが主流だった。理由は、後で燃やしやすいとのことだった。
生活感がある。ここの患者は、下の病舎との自由な往来は出来なかったと聞く。
共同の炊事場。
ここは時空が停まっているように感じた。まさに時間と空間がそのまま取り残されているような場所だった。
確実に完全崩壊の時も迫っている。この廃墟が持つ時間も記憶も歴史も意味も、全て消えてなくなってしまうのだろうか。
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