1875年に開校し、1958年に現在地に移設。銅山が採鉱を停止したことで児童数は減少し、1984年に休校となった。
このおたまじゃくしがトレードマーク。どんなメロディーを奏でるのかな。
とんぼがカメラ目線だ。
この場所に着いた瞬間、たくさんの猿が逃散するのを見た。
きっと彼らは様子を伺っている…。
もしかしたら、一番危険な動物なのではないか。持ち物に食料がないことを確認しながら、歩みを進める。
離れには、お手洗。
校舎はすっからかん。
信号機が暇をもて余している。
子どもたちはもういない。
確かに、ここは学び舎だった。1933年に大洪水があり、校舎は流失。その時の校長が書類を守ろうとして亡くなった。この場所に建てるまで、常に洪水との戦いだったと聞く。
移設当初は生徒数54名。徐々に減り、最後は児童4名で閉校式を迎えた。
どんな建物にも記憶と歴史がある。
子どもたちの声がこだましていた。
帰ろう。猿たちがきっとお待ちかねだ。
人里離れた山中に取り残された学校。今は静寂を奏でるばかりである。
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