通称「健全ナル国民ノ診療所」と呼ばれる。明治時代に開院して、昭和20~30年代に閉院した木造二階建ての診療所跡。※ちなみにこの通称は、1931年の昭和天皇の行幸の際に出された勅語に由来する。病院内にそのお言葉が飾られていたらしい。
2006年頃から廃墟として一躍有名になった。
当時は薬瓶などもきれいに残されており、全国から廃墟マニアが押し寄せたという。
招かざる者もやってきた。度重なる備品の盗難。それも、廃墟の運命か。
少し疲れたのだろうか。その頃から、建物は急速に朽ちてゆく。
2013年には階段がなくなり二階は崩壊。
2016年には診療室以外の大部分も崩壊した。
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診療室に
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行ってみよう
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終着駅へのカウントダウンは確実に始まっていた。奥からヒソヒソ声がする。
身を潜める薬瓶たち。手を差しのべたが、ついては来ないらしい。
奥の部屋。
受付の小口だろうか。長い間お疲れ様でした。
もう少し訪問が早ければ…とは思わないようにしよう。廃墟とはこの世にひとたび現れる幻想に過ぎない。
いつかここは更地になる。やがて人々の記憶から忘れ去られ、ここに病院があったことすら分からなくなるかも知れない。
すっくと伸びる大黒柱を見上げる。まるで墓標のようだ。でも、この病院は太く生きたのだ。
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