
1971年3月、統合により閉校した小学校。人気のない山中に、木造平屋建て校舎が残っている。


「離合場所」の看板が多数。狭い場所で車がすれ違う場所の意味らしいが、この辺りに車の気配は無かった。

教職員宿舎。入ってみよう。

一階は給食室。1937年時点で、なんと約170名の生徒が通っていたという。ここは大忙しだったろう。

二階。窓越しの風景。
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校内は木材置き場になっていた。

一見、何も残っていない。そんな中、当時の面影を探すのは宝探しのような感覚だ。

あいうえお

お馴染みの東西南北

九九算 部首

ここは確かに学び舎だった。

奥になんかいるぞ!!
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あー!!

ニモさんだ☆年代から学校当時のものではないだろうし、キニナルキニナル…。どこから泳いできたのー?

奥も物置としてごった返していた。


今と違い、多くが紙媒体で手書きだった。生活の温もりを随所で感じられる昭和の廃校が大好きだ。
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