
1880年頃に開設された旧帝国陸軍関連施設。火薬類の生産・保管を行っていたが、戦後に幕を閉じる。多くの建物は解体されたが、一部遺構が残っている。

陽気な春の日射し。



物騒な時代を生き抜いた遺構は、静かに眠っている。

スヤスヤ…。

屋根が思い切り崩落している。

扉も半開きでびくとも動かない。もう役目は果たしたのだ。


実は羽虫のようなやつがメチャクチャ飛び交っている。

建物は複数残る。

緑がかった壁。堪らなく好き。



いずれここも解体されるのだろうか。

はたまた自然崩壊が先か。


この高い土塁はダイナマイトの爆風避けであろう。同様の物がロシア病院(廃墟)にもあった。

これは、解体されてコンクリの外壁だけ。

ここは建物が残る。


当時の空気が滞留している。


この数字は戦後の進駐軍によって割り振られたものだろうか。

このトンネルのようなものは昭和10年頃完成の「射場跡」と呼ばれるものだ。

でかい!!全体を写せない。

戦時中は小火器専用として使用されたそうだ。小火器…特に兵士1人で携帯操作できるもの。具体的には拳銃、小銃、ショットガン、アサルトライフル、グレネードランチャー、手榴弾などを指す。

行き止まり。そして振り返る。

…ふむ。

この場所に轟音が鳴り響いたのだろうか。



広い敷地には用途不明の様々なものが残っている。全て当時は意味を為していたのだ。

解体されたコンクリートが、身を寄せ合っていた。世界中で紛争が絶えない。決して他人事ではない。我が身としてしっかりと考えなければならない。そんな時代の分岐に我々は立っている。
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