下谷(したや)小学校。1875年に開校。1923年の関東大震災による火災で校舎は一度焼失。1928年に現在の鉄筋コンクリート3階建ての新校舎が完成。関東大震災のいわゆる「復興校」の一つだった。鉄筋校舎は戦災にも焼け残り、長きにわたり卒業生を送り出してきたが、1990年に少子化により閉校した。
当初はこの土地の再開発も予定されていたが、バブル崩壊後の時期だったため財務状況の悪化などによりそのままの状態で放置。その結果、蔦がうっそうと絡む廃墟然とした様相となり「東京都心の廃墟スポット」として知られるようになったのだが…。
この度、ついに解体が決まった。最後に一般公開が行われると聞き足を運んだ。
予想以上に沢山の人々で賑わっていた。
閉校してから30年以上が経つ。このバスケットボードも当時のものだろうか。
奥には立派な高層ビルが見える。立派な高層ビルと30年以上放置されてきた小学校。こんな新旧の比較もなかなか見ない。
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校内へ
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入ろう
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ちびっ子が駆けてゆく。ひさしぶりの賑いに、きっと校舎は喜んでいる。
教室には写真も展示してあり、懐かしいという会話も多く聞こえてきた。来場者の中にOBや地域の方がだいぶいらっしゃると感じた。
自身は関係者ではないが、同じように郷愁は持ち合わせている。気持ちが高揚してきた。
2019年にはNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」でも活用されている。
踊り場から校庭が見える。
各教室の黒板は自由開放されていた。懐かしさに溢れる文字が並ぶ。
時折放送で卒業生の呼びかけが流れる。記念撮影が行われているようだ。
アーチ窓。受付で頂いたポストカードにも載っていた。
一般公開に向けて清掃が行き届いているが。
窓辺には当時の名残が残る。廃墟マニアにはここがおいしい。
外側の蔦が残っているのも嬉しい。公開に向けてある程度刈り取ったのかも知れない。
実際に来場者たちがよくカメラを向けていたものの一つは、窓であったようにも思う。
教室後方には木製のロッカー。当時使っていた生徒が見たら感涙ものだろう。
おしなべて保存状態は良いと感じた。外観とは打って変わり、内部には清潔感すらある。
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楽しみにしていた屋上だ。
まさに高層ビルに囲まれた都心の廃墟。
この場所に立てていることが凄い。
立派な高層ビルが、ずぅぅぅ〜ん。
見えた。
屋上から見えたスカイツリー。100歳を超えた大先輩とどんな会話を交わしているのだろう。もうすぐここは解体される。
時代は流れてゆくのである。
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