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曾呂尋常小学校分教場

1874(明治7)年に開校。日本に現存する廃校の中でも相当古いのではないか。残留物はほとんどないが、明治初期から続く木造建築には、物言わぬ凄みがある。

なぜ解体されずに残っているのか。理由の一つに偉人の輩出がある。大蔵大臣を務め、城西大学の創立者でもある水田三喜男の息がかかった校舎なのだ。

入り口に囲炉裏。時代を感じる。

右手の箱にはゲートボールの道具が入っていた。壁には賞状(時期は平成2年)。閉校後は地域の公民館のような役割を果たしたのだろう。

この壁に書かれたもの一体…。いつのものやら。

廊下の突き当たり。天井にとっくりをひっくり返したようなものが見えるだろうか。コガタスズメバチの巣だ。あちこちにあったので、夏は訪問しない方がいいかも知れない。

昭和八年!右の黒い板は大正十五年二月二十日!!古い!!!

1.72m

村の中央にある本校まで6キロあり、低学年の児童は通うことができず、四年生まではこの分教場で授業を受けていた。

一年生から四年生までの40人に満たない児童達がひとつの教室で一人の先生に教わった。上級生が下級生に教える姿が目に浮かぶ。なんともほほえましい。

湯呑「所」と読む。歴史ある物件はこういう文字に出会える。

屋根は瓦。自重で落ちてしまったようだ。

実は隣に、新しい公民館的な家屋がある。

とは言っても相当古く、今はもう使われていない。

黒板だ。もともと学校だったのかな。

近くの商店のおばあさんと立ち話になった。ご主人がこの分校の卒業生とのこと。「もう廃校になって50年以上経つのよ(1967年廃校)。ここら辺は若い人がいなくなって、参っちゃうわ~」と笑いながらおっしゃっていた。

人々の記憶から忘れられてゆく廃校。これは特別なことではない。目を凝らして見ればどこにでもある、日常の風景なのだ。

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