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昭和炭鉱「隧道マーケット」

昭和炭鉱は1930年から1969年まで採掘をおこなっていた。 港が近く良質な石炭が採れたため、最盛期には4000人以上が暮らす巨大な炭鉱街を形成していた。

戦後の石炭から石油へのエネルギー革命、安全対策に要するコスト増により経営が苦しくなり、昭和鉱山の歴史は幕を閉じる。

今は深い森の中に沈む。

そんな昭和炭鉱の代名詞とも言えるのが「隧道マーケット」。冬は一帯が大雪に包まれる。そんな人々の生活を支えた商店街がトンネルの中にあったのだ。想像がつくだろうか。マニアの間ではもはや伝説に近い存在。

迷い易い森の中。携帯電話の電波も届かず、熊も頻繁に出没するため慎重に…慎重に…。

そして…

あったー!!!

逸る気持ちを抑えつつ、

目の前の川を渡河し…

行くぜ!隧道マーケット!!

内部は真っ暗。強力な懐中電灯が必須だ。

洞穴全体に歪みを感じるのは目の錯覚だろうか。

当時、天井には蛍光灯の照明があったと聞く。

側面に作られた窪地。この中にお店が入り、約18店舗が立ち並んだという。

お菓子のケースだ。子どもがお母さんにおねだりしたのかな。

ガラナなどのジュース類。木は朽ちる中、金物やガラス瓶は残る。

冷蔵ショーケース。鮮魚店だったのだろう。

因みにライトを消すとやはり真っ暗。風の流れも無く閉塞感を感じる。

粉洗剤を売っていた棚かな。

佐藤◯◯◯連絡所。資材の再利用と思われる。この発見は、当時の人々の市井に触れられたような気がして嬉しかった。

さらにリアルな記録も残る。

「閉山反対」「手を握り合って頑張る」

「閉山絶対反対」

閉山は企業の決定とはいえ、従業員とその家族にはかけがえのない生活(コミュニティー)があった。同様な事が日本中の炭鉱で起こっていたことは、想像に難くない。

今は伽藍とした空間。まさに夢の跡。

さらに進むと会いたかった光景が。

あっ…!

「宮間呉服店」の看板だ。現在は隧道マーケットの看板娘的な存在だ。

呉服屋さん。当時は湿気が強いためか、服もすぐに傷んでしまい商売には難儀したと聞く。

感無量。

残っている残留物としみじみ対峙。心の中で握手だ。

さらに進むと足元は水没。 深さは20cm程度なのでさらに進んでみたが、…鬼冷たい。

ここで深入りは禁物だ。名残惜しいが帰ろう。

帰り際、盛大な見送りを受ける。

バサバサ…バサバサ…

それはおびただしい数の蝙蝠だった。異世界から現実へ。まさにここは「タイムトンネル」。当時暮らした人々の日常生活や感情が直接的に伝わってくる貴重な場所だった。

1968年の資料。閉山の前の年となる。

子どもの姿も見える。例のお菓子を買ってもらったのかな。

ちょうど訪問の数カ月前に、ニュースを目にしていた。隧道マーケットの老朽化が激しく、もう長くは保たないとのことだった。その時は遠く離れた北海道の奥地を想像するばかり。そして、その夢にまで見た場所に今回実際に訪問出来たのだ。映える写真は無いが感じるものは十分にあった。大変貴重な体験が出来た。

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