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陶製手榴弾

埼玉県のとある河川敷。この一帯には戦時中、巨大な火薬工場があった。戦争末期には陶製手榴弾を作っていたが、戦後に大量投棄され今でも残っているという。



遠目には判らない



近づいてみると…


それは紛れもなく陶器でできた手榴弾であった。

手榴弾といっても火薬を入れる前なので、爆発の危険はない。

どれもこれも割れていて無傷のものは見当たらない。

パッと見、完品?期待はすぐに裏切られる。

※当時の写真だ正式名称「四式陶製手榴弾」戦局悪化による物資の不足により、苦肉の策で陶器を採用したという。ボンバーマンの爆弾じみた器に爆薬を入れた簡単なもので、あまりに威力が弱く、正直殆ど役に立たなかったらしい。

手榴弾に混じってつるはしだ。

あちらにも工具が見える。実はこの場所には手榴弾を求めて、全国からひっきりなしに人が訪れている。

ゴールドラッシュならぬ、手榴弾ラッシュ!!!その手のマニアや、大学関係者…時には本格的なガチ装備団体もやってくるそうな。

彼らが探すのは割れていない完品☆10年前ならいざ知らず、現在はほぼ無いと言ってよいと思う。

「テレビ取材も何回受けたかわかんないよ~」というのは、この場所を親切に案内して下さった地元の方の談である。

誰が置いたかドラゴンボール。最近も人が訪れた形跡。

ジャリジャリ…  ジャリジャリ…     ジャリジャリ…  ジャリジャリ…実はこの日も数名先客がいて、黙々と掘っていた。まさに、潮干狩りのようだ。

掘っていた穴を見せてもらった。完品は全く見当たらないと言う。


興味深いものを

見せてもらった

何か刻印がしてある。

「信」の刻印。これは信楽で作られたものであり、下には統制番号が見受けられる。

ちょっと興奮して、自分も探してみた。もちろん完品など見つからず、比較的良好なものが集まった。




洗ってみると、陶器ならではの渋いフォルムが姿をあらわした。完品はオークション等で数千円で取引されているようだ。個人的には値段ではなく自分で探し当てたいなぁと思うけど、難しいだろう。

日本は幸いにも平和が続いている。
少し照れ顔の陶器。
「もう物騒なものに使わないでね」
そんな呟きも聞こえてきそうである。

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