松尾鉱山関連遺構の一つ。家族寮だった緑ヶ丘アパートの近くにあり、こちらは独身寮だった。
元々は木造二階建ての宿舎だったが、1945年8月9日に米軍艦載機による空襲を受け全焼、戦後になり場所を変えて再建された物だという。
三階建ての建物が風化した状況で残る。
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あ、誰かいるぞ!
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現在の居候さんだ。
残る鉄骨の骨組み。北国の豪雪地帯にあり、環境の激しさを物語る。
「嫁に行くなら松尾鉱山」当時の岩手ではよく知られた言葉。
働きに応じて非常に高額な賃金が支払われ、裕福な生活が出来たそうだ。
資材置き場。木箱には昭和54年の文字。
共同浴場。
共同トイレ。
この廃墟、一つ気付いたことがある。
窓からの風景が秀逸。八幡平は風光明媚な観光地で、夏はゴルフ冬はスキー客で賑わう。山々には雪が残り、野生の鳥たちの歌声も聞こえる。
大きな沼地を挟んで、向こう側には日本屈指の廃墟である緑ヶ丘アパートがそびえ立つ。
最上階の三階だ。
居候さん、こんにちは!
鉱山は1960年代にピークを迎えるが、1967年に世の時流により閉山となる。寮の男たちは、どんな思いでここを後にしたのだろう。
それでは、メインの緑ヶ丘アパートへ。
続く
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